10月28日(木) 「そういうものだ(So it goes.)」、お返事。
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というわけで(←何がだ)、カート=ヴォネガット・ジュニア「スローターハウス5」(ハヤカワ文庫SF)を買ってきて読み直した。整いすぎた話だと思いましたよ。
読んでる最中にやたらと、木村敏「時間と自己」(中公新書)の内容が頭に浮かんできたので困った。たとえば、
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離人症患者がしばしば語ってくれる体験のうちで、われわれにとって特に問題になるのは、その独特の時間体験である。ある患者は「時間の流れもひどくおかしい。時間がばらばらになってしまって、ちっとも先に進んでいかない。てんでばらばらでつながりのない無数のいまが、いま、いま、いま、いま、と無茶苦茶に出てくるだけで、なんの規則もつながりもない」という。
「時間と自己」(27ページ)
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とか。
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たとえばトラルファマドール星人は、ちょうどわれわれがロッキー山脈をながめるのと同じように、あらゆる異なる瞬間を一望のうちにおさめることができる、彼らにとっては、あらゆる瞬間が不滅であり、彼らはそのひとつひとつを興味のおもむくままにとりだし、ながめることができるのである。一瞬一瞬は数珠のように画一的につながったもので、いったん過ぎ去った瞬間は二度ともどってこないという、われわれ地球人の現実認識は錯覚にすぎない。
トラルファマドール星人は死体を見て、こう考えるだけである。死んだものは、この特定の瞬間には好ましからぬ状態にあるが、ほかの多くの瞬間には、良好な状態にあるのだ。いまでは、わたし自身、だれかが死んだという話を聞くと、ただ肩をすくめ、トラルファマドール星人が死人についていう言葉をつぶやくだけである。彼らはこういう、”そういうものだ”。
「スローターハウス5」(39ページ)
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この本のなかで繰り返し語られる「そういうものだ」という台詞。原文ではこの台詞、"So it goes."らしい。なんだか実に訳しづらそうな言葉。「そういうものだ」と訳してしまうと、justだのonlyだの「単に〜にすぎない」というニュアンスが出てきてしまう気がするのだけど、それで良いものかしらん。
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["so+主語+(助)動詞"の語順で,先行の陳述に対する同意・確認を表わして] まさに、いかにも、実際。
You said it was good, and so it is. 君はいいと言ったがいかにもいいね.
"You look very tired."―"So I am." 「ずいぶん疲れているようだね」「まったく疲れたよ」
"They work hard."―"So they do." 「彼らは勉強家だね」「まったくだ」
"You promised to buy me a ring!"―"So I did!" 「指輪を買ってくれると約束したじゃないの!」「そうだった! 《忘れていた》」
[株式会社研究社 新英和・和英中辞典 "so"の項]
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手元の辞書をめくってみたところ、一番近そうなニュアンスはこの辺りなのではないかという気がした。同語反復的な繰り返し・確認のつぶやき。「単に〜にすぎない」というような意味づけすら拒否するような。
マイスター伊藤典夫の訳をいじるのは甚だ勇気が要ることではありますが、「そういうものだ」をこのように変更したら印象が変わるかも、という代案を幾つか考えてみたですよ。
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・「まあ、そんな按配」
・「色々あった。」
・「やれやれ」(←いやその…、オチとして)
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インタビューに答えて「ほら、宇宙が単一の時空連続体だって想像すると、幸せになってこない?」なんて言ったのはルーディ・ラッカーで、彼とヴォネガットの間の近さと遠さについて少しだけ考える。
ヴォネガットがメジャーになったきっかけというのは「猫のゆりかご」が大学生の間で熱い支持を受けたことにあるらしいのだけど、ラッカーってちょうどそのころ大学一年生なんだよなあ。
テッド・チャン「あなたの人生の物語」? そんなのどうでもいいです。
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全然別の話。たぶん。
某所、じゃなくてこちらの掲示板(2118〜2121)へのお返事。掲示板に書かれてたもので、知人が教えてくれるまで気付きませんでしたよ。
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http://flurry.hp.infoseek.co.jp/200410.html#03_2
あー。あなたと話が噛み合わないということだけは分かりました。例えば「運の悪い」と言うのは「僕の関心領域とそこそこ重なることについてそれをやっている」という「事態」に対する形容で、次にその「事態」は誰にとって「運が悪い」のかと言えばあなたにとってだ、「という意味で書いたつもりです」。
つまり僕が狂犬であなたが噛み付かれた人だとして、「人が狂犬に噛まれるという事態」は「運の悪い」ことですが、では誰にとってその事態は運が悪いのかと言えば、あなたにとってです、「という意味で書いたつもりです」。それをあなたはなぜか僕(狂犬)にとって運が悪いと解して勝手に愁傷してくれる。この箇所については「 13. 勝利宣言をする」という言葉が浮かびましたが。
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いやその。罵倒に対して話を噛み合わせろと言われても困ります。
たとえば、「フゥハハハー、狂犬である俺様の前を通るなんて、運が悪いなあ」みたいなことを言われたときに、「なるほど。犬として生まれてしまったということ自体はあなたにぴったりなので運が悪いとは思いませんけども、狂犬病に罹ってしまったというのは確かに運が悪いとしか言いようがありませんな」と返すのは、話のずらしかたとしては標準的だと思いますが。
「13. 勝利宣言をする」というのは何のことでしょう。あー、詭弁のガイドラインとかいうやつでしょうか。ところで、そもそものあなたの「ほら、俺様ちゃん狂犬だからさー、自分を止められないんだよねー」みたいな台詞というのは、勝利宣言とは違うのですか?
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ただそれは、句読点の打ち方に多少配慮を欠いた程度で派手な誤読をして後日修正しなければならなくなるような人にこんな文章を書いたのが間違いだったということかも知れません。
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あはは。句読点の打ち方に(なかなかに)配慮が欠かれてたとはいえ、誤読に関しては済みませんということで。
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「僕はこの文を○○という意味で引用していたつもりです」なんて間の抜けたことは誰だって書きたかありませんよ。それをやらざるを得なかったのは僕の配慮が足りなかったからで、例えば A を意味したい時にそれをごく簡潔に表現している既存の B という文があったので B を採用して手を抜く、この時読み手は B を A ととってくれる必要があり、更にその前提には B を A と読める程度の文化的背景や文脈が共有されている必要がある。無論書き手の意図は読み手が読む段階で常に裏切られるから究極的には全て「見込み」でやるしかなくて、そしてそれがこのケースでは大きく外れたということです。ただそれを「だったら最初からそう書けばいいのに」とか言われるのは心外だし、それはこの「書く - 読む」の間で何が起こっているかを、しかも自分が当事者なのに全く理解しない人間の言です。あとあなたがバルトもデリダも読んでいないのはさもありなんと思いました。
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いやその。「だったら最初からそう書けばいいのに」というのは、「皮肉の意味で書いたつもりなんですけど」。柄谷のあの文章が何かを簡潔に表現しているとしたら、それは過不足無く表現というよりも、むしろ大概の皮肉がそうであるような(過剰な?)含みを持っているからで。皮肉に対して皮肉で返しているだけです。
α:「まったくもって、君は賢いひとだね」
β:「ほめてくれてありがとう。実は僕もそう思っていたんだ」
α:「…違うよ。皮肉だよ。僕は『君はバカだ』と言ってたつもりなんだ」
β:「なーんだ。だったら最初からそう言えばいいのに。まわりくどいなあ」
あなたの今回の「書き手の意図は読み手が読む段階で常に裏切られるから究極的には全て見込みでやるしかない」という言葉と、あなたの以前の「ものを言うか言わないかに関しては言うか言わないかの2通りしかない」という言葉。この2つの言葉を繋ぐものが僕には気になります。両者の関係について「手を抜かずに」書いていただけたりすると、僕は嬉しい。
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アドルノは読みましたか?
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大いにウケました。いえ、アドルノの著作にではなく、あなたのこの言葉に。
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