7月31日(土) 「師匠とぼく」。風の通り道。電波。古川日出男「沈黙/アビシニアン」
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そういえば、思い出したこと。
先週の土曜日に、師匠のところに遊びに行ったのでした。まず電車で延々揺られて、それから師匠が運転する車の助手席に座って、行き当たりばったりな往き道。城跡などを見学しつつ100kmほど車を走らせて、岬の近くで晩御飯。
ここで、そのひとのことを師匠と書くのは、そのひとと僕との会話が、ときどき、師匠と弟子のそれになってしまうことがあるからで。
たとえば助手席に座った僕が益体もない思い付きをぼつぼつと喋っていると、突然に師匠の言葉が。
「 あなたが今言った○○って、いったいどういう意味で使ってますか? 」
その言葉に微妙な鋭さを感じて、僕の心にアラームが鳴り響く。口頭試問スタート。僅かに緊張しながら説明を始める僕。そして、どうにか説明を終えた僕は、一息ついて師匠の講評に耳を澄ます。
「 まあ、それで良いと思うんですけど、それだけではないんです。つまり―― 」
良かった。とりあえず「可」ぐらいは貰えたらしい。
――しまった。いま思ったのだけどこれ、師匠と弟子というよりも先生と生徒って感じだな。でもそれだとまるで、漱石の「こころ」みたいな響きだ。それはちょっとどうか。
久しぶりに会った師匠は、あいかわらず面白いひとだった。僕に関して、見た目が体育会系っぽい、なんてことを言うひとを僕は師匠以外に知らない。師匠、とりあえず眼鏡を代えたほうが良いと思うよ。面白いのはいいんだけどさ、それはさすがに心配だよ。
岬のそばを散々うろうろした挙句に遅い夕食。刺身定食と、あと、この地方名物の「氷入り味噌汁」みたいなやつ。冷水で味噌を溶いて魚の刺身や夏野菜を入れる。元々は漁師料理だとか。紫蘇や茗荷が効いていて美味しい。
もごもご食べつつ師匠に質問をしてみた。昼間の師匠は美術館の開催案内をやたらと熱心に眺めていた。師匠ってそんなに美術が好きだったっけ? 少し考え込んだ師匠の言葉はこうだ。
「 文化的なものに触れていたいというのがあって。もちろん、家の近くに三省堂書店本店があるんだったら、それに越したことはないんですが。 」
「 師匠にとって、美術館に行くことは三省堂に行くことの代わりになるの? 」
「 メディアの種類は様々でも同じところに源流を持っているなら、美術品を見ることによってもその源流について知ることが出来ると思うんです。 」
ふうん、と僕はつぶやいて氷入りの味噌汁を、ずずずと啜った。師匠の言ってる「文化」って、どういう意味なんだろう。
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そのときに師匠に言えなかったこと。
さっき、師匠と岬の遊歩道を登って展望台に上がったときに書いてあった能書き。この岬というのは、生えている植物が一方向にしか成長しないほど海からの風が強いのだけど、岩の隙間に位置するこの展望台は風の通り道になっているとか、うんぬんかんぬん。
たしかに展望台には涼しい風が吹き込んできていた。柵から身を乗り出してみると、一面、低く生い茂る樹木が目に入ってきた。ある地点での樹木の流れる方向は風によって決まるとすると、つまり、この一面の樹木が見せるパターンは。その一瞬、僕はこの岬の斜面に吹き寄せる風の流れをすべて理解したような気がした。
僕にとって、このことと、ジュンク堂池袋店に行くこととは同じような意味を持つんだよ、師匠。
もちろん、展望台の時点でそこまで考えていたわけではない。夕食時に氷入り味噌汁を啜りながら考えたことでもない。これは電車でえんえん揺られる帰り道に思いついたことで、たぶんフィクションなのだと思う。
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少し別のはなし。
たとえ話をするなら、「電波」というキーワードに関して、片方に「いえー!毒電波びびびび!エロ・グロ・ナンセンス!頭にアルミホイルを巻く!」と楽しそうに遊んでいるひとたちが居て、もう片方に、アマチュア無線をやっていて素子の特性について真面目に語っているひとたちが居るとするなら(もちろん、この両方を兼ねているひとも居る)、僕はその二つのあいだに宙ぶらりんで、ぼけーと高圧電線を眺めては、「電場とか磁場とか、距離の逆二乗なんだよな」などと思いつつ、高圧電線の周りに形成されて僕をも取り囲む、目に見えない電磁場の形状について想いを馳せていたような気がする。
だからといって当然、物理の成績が良くはならないわけでさ。
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そういえば、久しぶりに小説を読んだのでした。古川日出男「沈黙/アビシニアン」(角川文庫)。
あわわ、どうしよう、これ。気恥ずかしさとラブとが入り混じった、僕のこの気持ち。
僕が最近読んだ本のなかで、この本に似ているなと思ったのはレヴィ=ストロース「悲しき熱帯」でしたよ。記憶と想起のなかに、ふと、浮かび上がってくるパターンのような何かについて。
ところで、僕にこの本を貸してくれたひとが何と言っていたか、読んでみた。
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(http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20030913#p2)
この作品も、「アラビアの夜の種族」と同様、<物語の誕生/死>に徹底的にこだわってます。
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うあー。押し寄せる違和感。なんだろね。
たぶん僕は「物語」という言葉が嫌いなのだと思う。もっと言うなら、見る、聴く、話す、気付く、思い出す、といったこと(そして、それらの相互作用やズレと)を「語り/物語」の名の下にひとまとめに乱暴にくくって回収してしまう、その問題系のありかたこそが僕には耐え難いのではないかしら。……ナイーブなこと言ってますか?
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