2月26日(木) 府川源一郎「『ごんぎつね』をめぐる謎」、お返事。
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新見南吉の「ごんぎつね」という作品、多くのひとは小学校の教科書で読んだという記憶があると思うのだけど、この「ごんぎつね」という作品、1980年からこのかた、全ての国語教科書(小学4学年)に載っているのだそうな。
しかも、これは文部省からの押し付けとか、そういう動きによるものではないらしい。
ところで、このページを何度かご覧になった方なら何となく想像つくと思われるのだけど、小さい頃の僕は「ごんぎつね」という作品を憎んでいた――いや、たぶん、現在でもまだ憎んでいるんじゃないかな。
それはさておき。
府川源一郎「『ごんぎつね』をめぐる謎――子ども・文学・教科書――」(教育出版センター:2000年発行)を、パラパラと読んでいる。この「ごんぎつね」現象とも言うべき事態が成立していった過程について総合的に扱った本、らしい。
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・新見南吉の投稿作品「権狐」が鈴木三重吉によって大幅に手を入れられて「ごん狐」になり、児童文学雑誌「赤い鳥」に載るに至った過程。
・戦後における新見南吉作品の(再)評価。
・国語教科書に載せられていった過程。さらに教科書に載せるさいの「改作」問題。
・「ごんぎつね」という作品はどのように読まれたか。そして、教室でどのように教えられたか。
・筆者は「ごんぎつね」をどのように読んだか。
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などなどについて書いてあるようだ。
では、いつものごとく、著作権の影におびえながら、本の中の素敵フレーズを抜き出してみることに。
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国語教科書に最初に「ごんぎつね」を採用した大日本図書の教師用指導書(引用者註:1965年発行)にある教材観を見てみよう。
> 兵十は善人である。ごんも善人である。加助も兵十のおかみさんも、きっと善人であったであろう。
>善人たち同志が、その善意を交わし合っていながら、わずかの行き違いのためにおたがいの真意
>が通じず、わずかの誤解がおおきなにくしみと悪意に変わる人の心の不条理を鋭くついたこの作品
>は、これを読む子どもたちの心にも強く何ものかを与えるのである。いまこれを読む第四学年の子ど
>もたちには、まだこの作品のテーマはとらえられないかもしれない。しかし、この作品を読んだ子ども
>たちは、みな、その心の中に不思議なショックを感じている。ある子は単なる感傷を、またある子は
>美しい詩情を、そしてまたある子は人間社会の疑問を。筆者はこの南吉の作品の授業を行うたびに、
>文学教育のすばらしさをしみじみと感じるのである。
「不思議なショック」これこそが「ごんぎつね」が教材として与えてくれる「感動」であり、「人生へのインタレスト」である。この解説では、それをめぐって、学習者たちが、共感的な理解をし合うこと、そこに文学教材を読むことの意義を見いだしている。おそらくこれは、戦後の文学教育を推進してきた代表的な意見だといってもいいかもしれない。作品の「テーマ」を要約的に抜き出すよりも、そうした「感動」を各自が切実に経験すること、そしてそれを交流することこそが、大事なのだという考え方は、教育現場でも強く支持されてきた。
(府川源一郎「『ごんぎつね』をめぐる謎」 p.129-130 強調部は引用者による)
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うわあ。
国語教育、怖ええEEEEEeeeeeeeeeeeeee!
…いやまあ、これって多数派(らしい)とは言え一つの立場に過ぎないわけで、これだけで「国語教育」を代表するのはまずいんだろうけど。
この他にも、この本には、
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・「銃弾はごんの脚に当たったので、ごんは死にませんでした」という改作を行った教科書会社。
・「ごんは幸せでしたか」という論題で、小学4年生にディベートを行わせた教師。
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とか、素敵なことが色々書いてあったり。
◆「ごん狐」という作品は、新見南吉(当時18歳!)の投稿作品「権狐」に、「赤い鳥」編集長の鈴木三重吉が大幅に手を入れた作品であるそうな。児童向けとしては文章が長大かつ難解な「権狐」は、三重吉が手を入れたことにより非常にシャープな作品となった。
府川氏は「権狐」と「ごん狐」を比較して、次のように書く。
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冒頭部に限って両者を比較すると、「権狐」では茂助爺という元猟師が登場し、彼が「私たち」に「権狐」の話をしたことになっている。ここには、「私」は、茂助爺の顔は記憶していないが、「夏みかんの皮をむく手の大きかった」ことだけは覚えているという、きわめて印象的な記述がある。南吉の書いたこの二二〇字ほどある前書きを、三重吉は「これは、私が小さいときに、村の茂平というおぢいさんからきいたお話です。」という、たった一行に縮めてしまった。すっきりとして、無駄のない、それでいて原作を生かした改稿だといわれるゆえんであるが、しかし「権狐」に存在した重要な要素が、抜け落ちではいないだろうか。
(引用者による中略)
三重吉が手を入れた「ごん狐」の場合には、語り手の「私」は初めから個人として登場する。背後にいたはずの固有性をもった共同体の人々の声は後ろに遠のき、「私」は語り手として、むき出しの姿のまま舞台の上に押し上げられる。そしてその独語は、無名の個人ないしは不特定多数の見知らぬ聞き手にむかって語られることになる。
とすると、この話がどのように閉じられるのかが、気になってくる。というのは、、悲劇の結末をだれが引き受けるのかが問題になるからである。「ごん狐」の聞き手は、共通の場と目的を持っているわけではなく、それぞれ独立した個別の聞き手でしかない。したがって、そこで語られた物語内容は、結局のところ、聞き手たち個々人の内部に閉じ込められてしまいかねない。「筒口から出た青い煙」は、確かに読み手一人一人の胸の中に届けられはする。しかし、それは読む手が置かれた都会の砂漠の砂のなかに染み込んで、影も形もなくなってしまう。兵十の前に出現した<他者>は、そのまま個々の聞き手に向かって投げ出され、行き場を失ってしまうのだ。
(府川源一郎「『ごんぎつね』をめぐる謎」 p.166-167 強調部は引用者による)
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…えー、つまり、府川氏はここで、「ごんぎつね」はセカイ系だ、と言ってますか?(←いや違うだろ)
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こう見てくると、「ごん狐」における「他者」は人々をつなぐような機能を持っていないが、「権狐」においては共同体という後ろ盾がそれを包み込み、解消してくれる、つまり「権狐」の方が「心の交流」が濃密である、というような結論になりそうであるが、それは必ずしも筆者の真意ではない。問題は、まだ先にある。
というのは、「権狐」の語り手の声が回帰する共同体の質が問題になるからだ。南吉が主として舞台にするのは、のちに『ごんごろ鐘』や『牛をつないだ椿の木』につながっていくような牧歌的な村落の世界である。すべてを溶解し、単一的な価値観のなかに投げ込んでしまうような農村社会の中では、「他者」は本来の姿では扱われない。予定調和的な収束を至上のものとする社会において、了解不能な「他者」は、排除されるか無視される。テキスト「権狐」では、「ごん狐」とは違って、兵十に撃たれた「狐」は「ぐったり」なるだけでなく、「うれしくな」る。ここには、死を前提とすることで思いが通じ、わかりあえていく様子がうかがえる。しかし、兵十と「権狐」とは自律した「他者」同士として、同じ世界を共有しあえたわけではない。「権狐」の世界は、一見、対立する二つのものがつながった世界を書いたようではあるが、実は一方的な甘えによって、無限定に両者が溶解していく姿が書かれていたのではないか。
(府川源一郎「『ごんぎつね』をめぐる謎」 p.168)
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いやまあ、どこでも似たような話をしていますね、というか。
ところで、『ごんごろ鐘』や『牛をつないだ椿の木』で描かれる村落を「牧歌的」と評するのは全然違う気がするんだが。府川氏が言いたいのは、戦争に向けた挙国一致体制がどうたら、とかそういう話じゃないのか。
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「ごんごろ鐘もあの爆弾になるんだねえ。あの古ぼけた鐘が、むくりむくりとした、ぴかぴかひかった、新しい爆弾になるんだね。」
と僕がいうと、休暇で帰って来ている兄さんが、
「うん、そうだ。何でもそうだよ。古いものはむくりむくりと新しいものに生まれかわって、はじめて活動するのだ。」
といった。兄さんはいつもむつかしいことをいうので、たいてい僕にはよくわからないのだが、この言葉は半分ぐらいはわかるような気がした。古いものは新しいものに生まれかわって、はじめて役立つということに違いない。
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つーのを「牧歌的」というのは、いささか無理がありはしないか。
◆話変わって、お返事のコーナー。
http://d.hatena.ne.jp/Tskk/20040223
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「なぜ学校に行かなければならないのか」という疑問が存在することが障害なのだから、疑問に答が見つかって疑問が解消したので障害は無くなったと言うことだと思います。
〈子供〉の哲学には価値観は存在しないので、「『行かされる』ことは良くない」という価値判断はありえない。そこを価値観が存在する〈青年〉や〈大人〉の視点で読んでしまうと誤解してしまうのだと思います。
ということで、ボーデンハイマーの説明も永井均の子供時代の問いには間違った説明でしょう。永井均の問いは大人に発せられたのではなくて自問自答だし。
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僕が笑い出してしまった理由をもう少し説明すると、子供時代の永井均が実際に価値判断から離れた意識で「哲学」してたかどうかは知りませんが(なにしろ検証しようがないし)、結果としての彼の行動というのが、非常にある種の価値判断的なものにしか見えないというのが非常に面白かったのです。
立場は正反対ではあるけれど、「王様は裸だ!」と公衆の面前で叫んだ少年の行動というのは、少年自身が自らの行動をどう思っていたかはともかく、結果として価値判断的に機能してしまう。それと似たような感じです。
ついでに言うと、僕はそもそも「〈子供〉の哲学には価値観は存在しない」という前提に対してきわめて懐疑的なんですが、それはさておくことにします(←するのかよ)。
んで、「他人に問うのと、自問自答は違うんじゃないか」の話なのですが、「ボーデンハイマーの説明」ではなく、素直にこっちをコピペしたほうが良かったかしら。
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では、この主体化以前の主体の地位は何か。ラカン派の答えは、大雑把に言えば、同一化としての主体化以前、イデオロギー的質問以前、主体の立場を引き受ける以前の主体は、問いの主体である。表面的には、われわれはふたたび伝統的・哲学的問題群の真ん中にいるように見える。事物の与えられた客観的状態すべてを問題視することができ、積極性の中に問いの開放性を導入する、否定性の力としての主体。要するに、主体は問いなのだ、と。だがラカン派の立場は正反対である。主体は問いではない。主体とは、大文字の<他者>――象徴的秩序――が発した問いに対する、<現実界>からの応答である(Miller,1987)。問いを発しているのは主体ではない。主体は、<他者>の問いに答えられないという不可能性の空無である。
(スラヴォイ・ジジェク「イデオロギーの崇高な対象」 p. 271)
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でも、<象徴界>とか<現実界>とか、僕自身、良く分かってないしなあ。
「他人に問いを投げかける」ことと「自問自答」とが主体化の過程において果たしている役割というのは同じではないと思うけれど、両者の役割は表裏の関係なのではないかという気がするのですよ。
そういえば、元の話が妙なところに波及してて「なぜ学校に行くのか」ということに関して、色々なひとが意見を述べているそーな。
http://d.hatena.ne.jp/hatene/20040226#p8
に纏めてありました。
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