(元々の文章は、我ながら意味不明だったので変更しました)。
◆知人と「覚悟」に関する話を、もごもごとする。「覚悟を決める」とか「覚悟が足りない(生き様)」ってどういうこと?とか、そんな感じの話。
手元に国語辞典が無いので仕方なく和英辞典を引く。覚悟とはおおよそこんな意味らしい。
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かくご 覚悟
1 〈決心〉 (a) resolution
#覚悟する make up one's mind 《to sth, to do》; be ready [prepared] 《for》
#覚悟している 〈心を決めている〉 be determined 《to do》; 《fml》 be resolved 《to do, that…》
2 〈用意〉 readiness; 《fml》 preparedness
#覚悟する[している] 〈心構えができている〉 be ready [prepared] 《for》
#万一の覚悟はできている be prepared for the worst
3 〈あきらめ〉 resignation
#覚悟している 〈観念している〉 be resigned 《to one's fate》
#覚悟の自殺 a premeditated suicide
[株式会社研究社 新英和・和英中辞典]
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「覚悟」という言葉は、1つで上の1,2,3の意味を同時に含むのだけど、それはどういうことなのか。1,2,3の意味どうしの関係は何か。
ちなみに「覚悟」に関する僕自身の立場は、自分自身で覚悟を決めるのはさておき、他人に「覚悟を求める」ような社会ってどうよ?という立場なのでした。
◆「覚悟」の話をしているときに思い出したのが、Freezing Point経由で知った、こちらの元ひきこもり(?)のひとの言葉。
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この一節を読んでふと僕には絶望が足りないとかんじた。引きこもっていた部屋から脱して、中学高校からの旧友や自助グループで知り合った友達とゆるく繋がって、そのささやかな繋がりを慰めにして、将来にうすぼんやりとした希望を見出そうとしている。
しかし決定的な挫折から逃れて引きこもった僕はあいかわらず脆弱だ。ちいさな希望を重ねた不安定な足場はいつ崩れてもおかしくない。経験したことのない挫折は、大きな口をあけて足場の下にひろがっている。足がすくむ。このままちいさな希望だけを抱いて前にすすむことができるのだろうか。
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ここの「絶望が足りない」という不安は、「ひきこもりは、人生に対する覚悟が足りない」という決まり文句的な説教と、同じところから来ているのだろうか。どうだろう。色々と微妙。
そういえば、ひきこもりに関して僕が危惧しているのは、「あいつには絶望が足りない。どん底から這い上がった経験がないから、人生に対する覚悟もない」という風な、ひきこもりに対するある種の視線が時に「じゃあ、俺があいつに絶望を与えてやろう」という動きに転化してしまうことだったりする。
◆メモ。こちらも合わせて。
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ドストエフスキイの人物たちは、何かをいったあと、相手がいいかえす前に、それを先取りし、さらにそれを否定してしゃべりつづける。ふつうの意味では、これは対話ではなく、一方的な独白である。が、これが対話的だというのは、彼らの発語が”他者に向けられて”いるからである。彼らにとって耐えがたいのは、何かをいう(say)ことが、いつも別のことを意味してしまう(mean)ということなのだ。あるいは、「意味する」ことが、自分自身(私的規則)ではなく、まったく他者に依存してしまうという条件なのである。
彼らがしゃべりつづけるのは、社交的だからではなく、逆に意味と記号が一体であるような世界、すなわち「内的な世界」にひきこむ(引用者註:ひきこもる?)ためなのだ。ところが、そんなものはありはしない。彼らが、他者が強いる意味(規則)を先取りし回収するために発語しても、さらにそれも「意味してしまう」からである。
これは、過剰な自己意識(他者意識)といったものとは別の問題だ。《人間を他者の言葉、他者の意識との関係において設定することが実にドストエフスキイの全作品を貫く根本テーマである》(バフチン)。しかし、むしろ、ドストエフスキイは、「言語ゲーム」という条件から最終的に離脱しようとしてできなかった作家だといった方がよい。つまり、彼は、言葉が他者にとって「意味してしまう」という条件をのりこえようとしようとしたがゆえに、逆にその条件を照らし出しえたのである。
(柄谷行人「探求I」p.97-98)
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